東京のお菓子屋で丁稚修行していた初代が、名古屋に戻って孝和堂を創業したのは昭和12年(1937年)。朝生菓子、おはぎ、
「この場所を見つけてきた曽祖父は先見の明があったと思います」と語るのは、4代目の南谷太介さん。当時この辺りは畑だらけ。お百姓さんたちが荷車で農作物を運んでおり、名古屋駅へと向かう道沿いにある孝和堂は、ひと息いれるのにちょうど良い場所だったのだという。道ゆく人が孝和堂の和菓子で一服したというエピソードが伝えられているそうだ。
その頃から今も変わらないのは、“出来たての和菓子を提供する”ということである。また機械は使わず添加物も一切加えない。つまり、保存料などを入れずに、その日1日だけ美味しく食べられる和菓子を毎日作り続けているのである。
「添加物はどんどん開発されて、冷凍技術も進み、食品が何日も味を変えることなく日持ちする時代になりました。でも孝和堂のお菓子は一日だけの日持ちでずっとお客様に愛されてきましたから、今までもこれからもずっと、和菓子の出来立ての美味しさをきちんと伝えていきたいと思っています」と南谷さん。
毎日、午前と午後に餅をつき、炊いたあんとともに和菓子を手作りする。朝一度にたくさんを仕込まず、あえて、何度かに分けて餅をつく。その方が“出来立て”を味わってもらえるからだ。和菓子の原点ともいえる美味しさを味わってもらうために、今日も孝和堂からは餅米を蒸す湯気がたっているはずだ。
住所:名古屋市中村区鳥居通5-32
TEL:052-471-6246
営業時間:8:30〜18:30
定休日:月曜日(祝日営業)
URL:http://ohagikowado.nagoya/
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地下鉄中村公園駅を出ると目の前にそびえ立っているのが、地元の人々が愛着をこめて呼ぶ“大鳥居”である。中村エリアが名古屋市に編入された記念として、昭和4年(1929年)に建てられた鉄筋コンクリート製の大鳥居。高さは24メートル、幅は34メートルで、名実ともに街のシンボルである。
実はこの大鳥居の持ち主は、当時の住民が有志でお金を出し合って建てたもの。その奥にある豊國神社のものでもなければ名古屋市のものでもない、所有者不明の建造物である。つまり、地元の人々による地元のための共有財産といったところで、中村という名前そのもののイメージにもなっているのだ。
また大鳥居をそのまま奥に進むと、名古屋市の都市公園である中村公園と豊國神社があり、茶室を備えた日本庭園や池、中村記念館などが見所である。中でも中村区が歌舞伎役者・中村勘三郎の初代が生誕したとされているため、平成29年(2017年)に初代中村勘三郎の像が建立されたことは記憶に新しい。
中村の人々が誇らしげに“大鳥居”とか“赤鳥居”と呼ぶこのエリアを、ぜひゆっくり散策してみて欲しい。秀吉とゆかりの深い地域だけに、街の随所に歴史を物語る風景が広がっている。加藤清正や大閤秀吉の名前が今の時代にも頻繁に会話に登場する理由が分かるはずだ。