大須ういろの創業は昭和22年(1947年)ごろ。戦後、日本経済は順調に復興を果たし、大須あたりにも数多くの観光客で溢れるようになり、「大須羊羹」の名前で始めた和菓子業はあっという間に人気店となった。蒸し羊羹の技術を生かしてういろを作り始めるとさらにそれが大ヒットし、昭和24年(1949年)には大須ういろとして法人化を果たす。東海道新幹線の開通によって、ういろが名古屋名物となったことも、ういろ人気にさらに拍車をかけ、現社長の村山賢祐さんで6代目を数えるまで市内随所に大須ういろが出店していた。昭和40年代には機械導入により大量生産が可能に。「その頃は大量生産が求められる時代でした。しかし、ういろの美味しさをきちんと伝えるということだけは、当時からずっと変わらず言い続けています」と村山さん。
その後、昭和から平成、平成から令和へと時代が移り変わり、大須ういろの商品も大きく様変わりを見せる。平成27年(2015年)に販売開始した「ウイロバー」は一つのターニングポイントになったといっていいだろう。なるべく添加物を使わず、丁寧に作られたういろを食べやすいバーにしたものである。さらに平成29年(2017年)には「ういろモナカ」を発売。手作りする楽しさを味わってもらうことで、食べる人の心の深層へとういろの記憶が残っていく。令和4年(2022年)には「ういろのこな」を販売し、今までにない商品として業界内外で話題となった。そして現在は、機械生産から生蒸気をあてる手作り生産へとシフトチェンジを少しずつ実践している。
ういろの美味しさをもっと追求するために、原材料と手作りにこだわり、ういろによって新しい食の体験をしてほしいという思いから、ダイナミックな発想でどんどん新商品にチャレンジする。今も創業の地に腰を据えて、ういろの可能性を探り、挑み、伝えていく。それが“今の”大須ういろの姿である。
大須ういろ本店は大須商店街アーケード街に面しているが、そこから北にひと筋行ったあたりに、富士浅間神社がある。これは大須にあった長屋の富士山信仰(富士講)の歴史を伝える神社として、明応4年(1495年)に創建されたもの。駿河国(現在の静岡県)の富士権現(現在の富士山本宮浅間神社)から分霊したとのこと。つまり、いつか富士山に登って参拝することを楽しみにお金を貯めていた仲間同士のための神社だったのである。富士の地名がつくところは、富士山を眺めることができた場所だと言われているが、大須の近くに富士見町という地名があることを考慮しても、その昔、天気の良い日にはこの辺りから富士山を遠くに拝むことができたのではないだろうか。
富士浅間神社で富士山信仰に夢中になっていた先人たちの想いを感じるからか、村山社長は「特に理由はないのですが、この神社が好き」と語る。この道を歩けば必ず鳥居の前では頭を下げて、少し時間がある時には境内に入ってお参りするのだそうだ。
地元の人が、日常の暮らしの中で大切にしている場所というのは、なんとも落ち着きのある雰囲気が出てくるもの。この富士浅間神社も同様に、富士山信仰という共通の目的のために人が集い賑わった、地元民に愛されてきた歴史がある。村山さんが不思議と惹かれる、という感覚は、長く親しまれてきたが故の「土地の力」なのかもしれない。