“ういろ”が名古屋名物として認知されたのは、昭和39年(1964年)の東海道新幹線開通にともなう土産品の浸透だった。では、名古屋でういろが作られるようになったのはいつ頃からだろうか。実は、餅文總本店にそのルーツがあるのだ。
中国から日本にやってきた文人・陳元贇(ちんげんぴん)は、尾張徳川家二代藩主である光友の知恵袋となる。お菓子に詳しかった陳元贇が、藩の御用商人であった餅屋文蔵(後の餅文總本店)にういろの製法を伝えたのは万治2年(1659年)、これが餅屋文蔵の創業だ。つまり、名古屋ではじめて“ういろ”を作ったのは餅文總本店なのだ。和菓子屋として名古屋では両口屋是清がもっとも古いが、餅文總本店はそれに注ぐ2番目の老舗ということになる。
現在もういろを主流の商品に、これまで作ったういろの種類は全部で180種を数える。通常のラインアップに加え、モロヘイヤ、イカスミ、レンコン、こんにゃくなどを作ったことがあるのだとか。中部国際空港の催事限定販売「いなりういろ」は、内側に道明寺のういろを挟んだいなりで紅生姜までついているというキワモノ。このほか、バターで炒めたり、みたらし風にしたり。材料や配合を変えてみたりしながら、ありとあらゆるういろづくりに挑戦を続けている。
また、ういろは、冬の乾燥に弱く、固くなってしまうことが弱点だった。ここを自社で独自に開発した技術によって、寒い冬でも固くならずにやわらかさを保つ製法を一部の商品において、確立したという。餅文のういろの最大の特徴である“みずみずしく、もっちりとした食感”は、こうしたたゆまぬ努力によって生まれているのである。
住所:名古屋市南区豊2丁目36-24
TEL:052-691-5271
営業:9:00~18:00
定休日:1月1日
URL:https://www.mochibun.co.jp/
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餅文總本店から、車や自転車で北西に10分ほど行ったところに、東海道最大の宿場町があった。東海道五十三次の41番目の宿場である「宮宿」である。熱田神宮の門前町であり、港町であり、東海道で唯一の海路で桑名宿と結んでいた。宮宿から桑名宿まではちょうど七里(約27km)あったため、船着場は七里の渡しとも呼ばれており、今もその名称が残されている。
東海道を歩いてやってきた旅人たちは、宮宿で船に乗って桑名まで渡る。当然ながら船に乗る人たちが集まるが、特に海路の宿場町だったため、宮宿で宿泊して翌朝出発する計画をたてる人が多く、必然的に宿場町としては大きくなっていったのだ。天候が悪ければ、船が出ないので、時には宮宿で連泊することもあったはずだ。天保14年(1843年)には本陣2軒に脇本陣1軒、旅籠は250軒を数えたというのだから、さぞや界隈は賑わったのだろう。
今は「宮の渡し公園」として市民の憩いの場に役割を変えている。時の鐘や常夜灯など当時のものが再現されているので、江戸の昔を想像しながら風景を愛でることができる。この真ん前から船が出て、東海道を京都へと向かう人、伊勢神宮を目指す人、はたまた滋賀や大阪、桑名からやってきた人々が、入り乱れるようにして賑わっていた。そんな昔の人いきれを想像しながら一口ういろを頬張って、海の香りを感じながら、ひとときを過ごすのも一興である。