和菓子にはジャンルがいくつかある。茶席で用いられる上生菓子、土産品としての和菓子、季節の行事に使われ家庭の食に密接に関係している餅菓子などである。「上生菓子も土産品の和菓子ももちろん作っていますが、うちのメインは、ご家庭の日常とともにある餅菓子を中心にしたお菓子。季節を感じられる商品を数多く揃えていますから、季節ごとに好みのお菓子を探していただけたら!」とご主人。
創業は大正12年(1923年)。初代が大須にあった松月という和菓子屋で修行し、その暖簾分けとして開店させた。飯田街道がまだ狭い道だった頃は、今よりももっと広い店舗空間で、かき氷やぜんざいを食べさせる喫茶コーナーがあったという。今も看板商品になっているおはぎなどの餅菓子は、その当時から大人気だったのだろう。
取材に伺った日、次から次へとひっきりなしにお客様がやってくる。賞味期限はほとんど当日か翌日まで、というお菓子が多いため、そのことを店員さんが丁寧に説明し、このお菓子は減らした方がいいんじゃない?などと進言したりしている。地元密着という言葉は使い古されたかもしれないが、このお店に限っては、本当に地域の暮らしに根ざしているという感じがひしひしと伝わってきた。
筆者は「あんころ餅」を買って帰り、自宅でお茶うけにいただいたところ、こしあんのなめらかな食感にさっぱりした味わいと、その奥から現れる餅の美味しさに驚いてしまった。「近所に欲しいお店!」と独りごちながら、大きめのサイズをペロリとたいらげた。
住所:名古屋市中区新栄3-23-10
TEL:052-241-5317
営業:8:30~16:00
定休日:毎週木曜日、月2回水曜日
URL:https://kikuzato-shogetsu.com/
菊里 松月は塩の道と呼ばれた飯田街道沿いに店を構えている。かつて名古屋から長野県飯田市まで塩を運んだといわれているが、もちろん運んだのは塩だけではなかったはず。往時の人々にとって塩は生きていく上でなくてはならない貴重品だったため、そう呼ばれたのではないだろうか。
菊里 松月は「菊里」の交差点のすぐ脇にあるが、この飯田街道自体がゆるやかな坂になっているため、交差点の真ん中に立つと、新栄方向を見ればその通りが見晴らせる。反対方向は中央線の高架が眺めを遮断するものの、その先は古井ノ坂(こいのさか)へと続く道だ。恋の坂とも読めるので、恋愛にご利益のある坂になるといいなと思うのは筆者だけだろうか。
菊里 松月の店主が祖父から聞いた話によると、菊里の交差点には馬に水を飲ませる場所があったそうで、脇には水路もあったとか。街道を馬とともに物資を運ぶ人たちが、馬と一緒に休憩した場所だったのだろう。昭和の道路拡張によって道幅が広くなったが、旧街道の道幅は現在の1/2程度だったというのだから、飯田街道沿いのにぎわいも相当なものだったに違いない。商店がずらりと並ぶ通りで、様々な商いがされていたのだそうだ。
菊里の交差点から通りを見晴らして、多くの人でごったがえしていた飯田街道を想像してみてほしい。昔日の人いきれが、目の前に蘇ってくるような不思議な感覚にとらわれると思う。